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2024/04/02

着物学び直し

  着物が着たくなったのだが、20年前茶道していた時に教わった着付けがしっくりこないので春のうちに、と隣町の呉服屋さんにワンコインで教わりに行っている。

 たぶん昔教わった方法は(*)、「時間がかかっても形にはなる/どんなに動いても見苦しく着崩れない」が重視されたスパルタなものだったし、ピンと張ったお太鼓至上主義だったし、学生茶道なので衿合わせがかなりストイックで最低限の抜き方だったと思う。お蔭で、今まで留学中含めて楽しみのために着た時にもとんでもない崩れ方をしたり下着がびろっと出たりそれを指摘されたことはないし、水商売みたいとか言われたりもしなかったので「二度と着るか」な気持ちになるようなことはなかった。都度疲れたけど。去年秋の七五三の時も、6時起きで着て2コマ授業したあとで写真館と神社を梯子したらへろへろになったし、今見るとコーディネートにもう一工夫加えていたら…とは思うが、写真を見て恥ずかしいほどではない(たぶん、ヴェリイに載っている最新流行のピエロみたいなセットアップの洋装よりは10年後も安心して見れるんじゃないかとも思ったりする)。ので、なんだかんだ、失敗したときに致命的にならないようなベースを作ってもらったんだなーと思い、そのおかげでまた着たいと思えるのはラッキーなことである。

 今回の着方教室は外せないポイントと遊んでいいポイントを動きながら教えてもらえるのが楽しいし、動きのコツなども参考になる。いつも着物でお店で立ち働いているご夫婦に、楽しいよ、姿勢直ってきたら崩れないよ、と言われたら説得力があるというもの。

 袋帯二重太鼓の前結びに続いて、長めの半幅帯を教えてもらう。運転にもオススメのカルタ結びがうまくきまって、脱ぐのがもったいないけど草履も足袋もないし……と脱ごうとしたら、「紬だしスニーカーで帰って大丈夫ですよ」と!スニーカーに柄のソックス、ショールを羽織って洋服を風呂敷包にして帰りながら、大丈夫とはいってもちぐはぐ感は否めないのだけど、ぶわーっと自由になったような気がして、嬉しくてついコンビニ寄ったりしてしまった。これで半襟を濃い目の色にしたりして、革っぽいシュッとしたスニーカーで、靴下は着物か靴ど同色か敢えてどこか色を取るかしたら、茶色の紬は受け止めてくれる気がする。この先スニーカーを新たに買うときに「着物で和洋ミックスは行けるか」は考えてしまいそうだ。ついでに和装で草履でお出かけのときに仰々しい感じや大人しくしなきゃいけない感じがしすぎたら足袋を色にするのもありかもしれない。どちらもお茶の着方ではありえないことだけど、厳しいスタンダードを一応知識として持ったうえで、敢えて踏み越えられるというのは随分と気持ちのいいことだと思う。…とまあ、格好よさげなことを言っているようだが、着付けの基本の手順も完全に度忘れしていたものがあったし、初めて聞く!みたいなのもあったので、たまに人に見てもらうのは本当に大事だとも思うのでした。

 

(*)先輩のうちに一式持っていって注意点を聴きながら一緒に着る、というのを2回ぐらいやって、茶会練習の時には着て授業を受けたあとタクシーで寺に行くのでまさにスパルタだった。茶会練習だけじゃ動けるようにならんな、と思って1年間お運びバイトをして、それでなんとか動けるようになった。

2024/03/01

さいきんのヒットなど

  四歳児はすごい。ほとんど自在に言葉を使い、周りもそれを自然なこととして対応してしまう。わからないことが出てきたら説明したら理解してしまう。これ2000円で安かったの!などと夫に言った言葉を拾って「せんはひゃくが十個だから高いよねえ」などと言っている。いつのまにか箸が使えたり、いつのまにかハサミで曲線を切っていたり、去年の夏に買ったときにはまだ乗っかるだけだった自転車を半年ぶりに出したら、いきなり漕ぎ始めてブレーキの実験始めたりする。私は車で自転車運んで空気入れただけ。びっくりだ。

ー朝の忙しいとき、私があたふたしながら急いで着替えさせようとしていたら

「ママ、こっち向いて?にっこりして?うん、すごくかわいい!40歳でとってもおおきいね!」

ー朝、私がシャツをずぼんに入れるか出すか迷っていたら

「そっち(入れるほう)はちょっとしぶいけど、そっちのほうがいいんじゃない?」

ー髪の毛伸びてきたなー、と言っていたら

「だいじょうぶだよ。ママ、もうすぐかんざしできるんじゃない?」

ー夜ごはんの終わりがけに

「きょうはさ、おみずがまだちょっと残ってるからとくべつにデザートたべることにしない?」(お酒が残ってるからツマミを出そうとする我々の習性に学んだか)

追記

ーレゴで街を作って遊んでいるとき、灰色の旧式電話の受話器状のものを拵えて

「これから、しんど7のじしんがおきます。じしんのときには、オッケーグーグルの『じしんすとっぷ』のぼたんをおすととまるんだよ。だれでもおしていいんだよ」そんなの本当にあったらいいのにね。

2024/02/16

ファーティマちゃんのおはなし

  秋頃から坊が寝る前の絵本に加えて電気を消してから「おはなし」を所望するようになった。確か最初は電気を消しても一向に黙らない坊を黙らせるために私が始めたもので「とおいところのお話」か「とおい昔のお話」、短めの民話やら、小さいときの思い出話やらでしばらくは一日一つ二つ短編をまとめていたのだけれど、さすがに2か月くらいもするとネタ切れになってきたので連載にすることにした。「これは前の話の続きなんだけど」と言ったら結構覚えていることが判明したし、設定が一度できている方が話がしやすい。

 その中で一番長く続いているのが「ファーティマちゃんのおはなし」である。

 15世紀あたりのペルシャのイスパファンかタブリーズの学問の家系に生まれ、12歳にしてアラビア語とギリシャ語とラテン語を解して家の本を全部読んでしまったファーティマちゃんは、退屈して世界を見に旅に出る。バグダッドの王宮でジャスミン姫とお友達になって支援を得て、コンスタンティノープルでは町で一番大きい本屋で11歳のアリ君と毎日ミントのお茶を飲みながら語らい、アリ君の親戚のファーナ姉さん23歳が絨毯の商いをするための隊商にくっついてヴェネツィアへ。ヴェネツィアでは逆向きに旅をしようとするマルコくんとお友達になり、ファーナ姉さんが絨毯を全部売ってガラス玉とワインカップに変えてコンスタンティノープルに売りに帰るかわりに、船乗りのアルヴィーゼ君28歳とアメリゴ君28歳と一緒にローマを経由し、教皇庁の図書館を見たり教皇とおしゃべりしたりしてマルセイユへ(途中ジェノヴァの18人の海賊に襲われるが機転を利かせて8人に寝返らせる)。アルヴィーゼ君たちが8人の水夫たちと一緒にアメリカの方に行くので別れて版画職人のマルティンさん43歳と奥さんでお人形作家のヨハンナさん34歳と一緒に北上してパリを目指し、しばらく過ごしたあとバーゼルへ、バーゼルの工房に夫婦が落ち着いたので、そのあとトマスさん50歳とハンスさん30歳と一緒にロンドンへ。今は結局アメリカ大陸まで来ている。

 いちいち、新しい街で出会った人とお友達になってお茶とお菓子を食べたり、おいしいものをたくさん食べるパーティーをしたりするし、たまに新しいお洋服を作り、旅の途中ではしょっちゅう襲われて、そのたびに色々な方法で撃退したりお友達になったり、お友達になった人が身の上話をしたり、長い手紙を送ってきたりするので、時空が飛びまくっててネタ切れにならないしとても楽しい。問題は名前が思いつかなくて適当に世界史のうろ覚えから引っ張ってるからアテネの学堂状態(というとよく言いすぎか)なのと、その都度年齢設定をさせられるのを覚えるのが大変で、そろそろ設定ノートを作らなければならないのではないかと思ったり、でもそれも負けのような感じがしたり。でも年齢だけ本当に覚えていられなくてこまる。

2023/11/06

急激に備後弁スピーカーになる

  言葉の話である。

 学生時代京都で過ごした時には、サークル活動とバイトとで関西弁話者に揉まれたおかげで結構すんなり軽めの関西弁(京都ー滋賀系)を話せるようになった覚えがある。とくに、バイトで、京都周辺の人々の言葉で教えられた内容を、また、京都周辺の人々に教える、という流れがてきめんに効いた。それでイントネーションを習得できたので、たぶん大学院のころには、よその人には「京都滋賀あたりの人が標準語でしゃべってるけど少し地元の言葉が出ている」くらいに装うこともできる感じになってたんではなかろうか。もっとも、関西の人々には独特の会話の美学みたいなのがあって、わざと回り道を楽しんで掛け合いの様式美を追求するみたいな、あれは最後までよくわからなかったけれど。あとは細かくは「いる」と「いてる」の違いも納得のいく説明に出会ったことがない(三重・和歌山方面の人が多用する印象なのと、てが入るとやや完了形っぽいニュアンスがあるような感じがするが)。「乗れへん」が結局のところ「乗れない」のか「乗らない」のかは、京都か大阪かで違うということを知るまで適当だった(大阪では不可能な場合は「乗られへん」のだそうだ)。

 瀬戸内に来て数年間は、せっかく広島県にいるのに全然言葉が身に付かなかった。学生や教員仲間をはじめ、普段やりとりのある人たちが、関東・関西出身者が多かったりして、地元の人と言葉が移るまでじっくり話す機会がなかなかなかったのが大きいし、社会人になってしまうと敬語のやりとりが中心になり、方言が出にくくなる。

 それが、子どもが保育園に行きだし、そのうち言葉を流暢に操るようになると、俄然、土地の人と気軽に話すことが増え、まずは子供が、そして私が、最近は夫も「~しとる」「~できん」「~じゃけ」などと使いだした。イントネーションは標準語に近いので、覚えだすと大人も早い。しかも、日常言葉なので使いやすい。子供は「~しょーる」(備後現在進行形とか備後ウムラウトと一部で呼ばれている、「しとる」よりもさらに同時性が強いらしい表現)とか、「~じゃけん」(「ん」が入る方が断定的で、よそ者には抵抗が大きい。関西弁で「~やし」はいけても「やで!」はよういわんのと近いか)とか使いこなしているし、今や「見て!」より「見よって!」と指示されることが多い。私は私で「~なさいましたか?」を「~しはったんですか?」くらいに尊敬表現を残したまま少し親しみを込めて使いたいときに、備後の人がつかう「~しちゃってですか?」(たぶん)をそろそろ使ってみたいな、などと思っている。

 ところで、土地の言葉は、方言として有名な語尾表現や語彙よりも、微妙な活用の仕方など、無意識なところが面白いと思っている(し、例えば国語の時間とかに直すのに苦労するのもこちらなのではないだろうか)。

 例えば、無意識に使って「なにそれ?」と言われることが多い北海道の表現として、方言研究者とかじゃないけど勝手に「道民自発」とか「道民再帰代名詞」と名付けたものがある。事例は有名な「押ささる」。ボタンは押さなければ押ささらないはずなのに、道民は日常的に、「確かにボタンを押しているのだが自分の意志でというよりはボタンが勝手に押ささっている」ような事態に遭遇するのである。これはロマンス諸語の再帰代名詞に近いと思う。あと、同様に自立を重んじる北の風土は余所で他動詞遣いしかしない動詞の自動詞形を編み出した。すなわち「おだつ」。内地の人が「おだてる」ことはしても自主的に「おだつ」ことがないと聞いたときには驚いたものである。

 備後弁で同様の難しさがあるのは「れ入り言葉」じゃないかな。あまりに自然に使われているので、違和感に気づくことさえすごく難しいのだけど、可能表現の「れ」がなんか余分に入っていることがあると思う。いわば、「ら抜き言葉」の逆である。「遊べない」が「遊べれん」(あそべん、ではないのか)、「行けない」は「行けれん」(いけん、でよくないか?)、シューズは「履けれん」のであり、これら大体否定形で使うことが多いけれど、「シューズ、自分で履けれる?」のような表現も聞く。

 ちなみにこの「上履き」を意味する「シューズ」も、少なくとも自分が上履き使っていた時にはついぞ聞いたことのない表現であり(身の回りでは「うわぐつ」であった)、備後限定なのか中国地方で広く使うのか、案外西日本では常識なのか知らんけど、保育園玄関で会ったおなクラボーイに「その靴、ピカチュウじゃん!」なんて褒めてみようものなら「靴じゃなくてシューズだよ!」と訂正される程度には人口に膾炙しているっぽいのである。

2023/10/17

崎陽軒横入りされたファッキン貰い事故で悔しいので整理してみる

  もし電車の発車時刻が迫っているなら、なんならトイレピーピー危機なら、言ってくれればよかった。東京じゃないとこだとみんなそうするのよ?シウマイ弁当を買う順番が一つ遅くなることなんて私にはなんてことないし。だから傷つくのは私ではない。

 ただ、私が子どもと二人で荷物を抱えて瞬発力が遅くなっている時を狙って、ワンオペでてんてこまいの店員に対しては場合によっては間違えたふりができるぎりぎりの位置取りとタイミングで、しかし私が遠慮がちな声(瞬発力が鈍っているので状況判断が遅れたのだ)で「こちらに並んでいますよ」といった声を明白に無視して昔ながらのシウマイを二箱、二枚の千円札を出してすぐ終わらせるつもりが思ったより時間がかかりそうだからかポイントまでつけることにした終始、私を筆頭に並んでいる5組ばかりを「いないこと」にしたやり口を、坊にどう説明すればいい?同じ場所にいる人間に「この人々になら軽蔑されても構わない」ことを宣言するかのようなこの態度は、人間性に対する信頼を毀損するものだ。だからこんなに悔しい。

 当該人物はいうまでもなく男性だ。私がまっすぐ立って頭部は仰ぐくらい、薄手の黒のニット越しにわかる恵まれた体格で、立ち位置の巧みさや無視するときの覇気からはスポーツをやっていたことがわかるし、感心なことにその場を立ち去らずに絶妙に空を見ている妻さんの真っ白なグローブトロッターと、つつましくダイヤの並んだティファニーにこちゃんペンダント(ミニでなくスモールサイズ)の普段着合わせをみるにそこそこ稼いでもいるのだろう。

 こういう手合いは、夫が一緒の時には絶対横入りしてこないし、私が一人のときもまずこない。地獄に落ちろとは言わないが、病院が爆撃されているニュースを見て心を痛めることがあれば自分の人間性がまた地獄に近いところにいることに気づけばいい。

 けどそれは難しいかもしれないから、「彼」の常識の世界のなかででいい。もう物心ついている子どもの前で恥ずかしい大人の姿を見せたせめてもの償いとして、大事な取引で相手方に私に似た明るいショートカットの女性を見て動揺して自爆するくらいのことは甘んじていただきたいとおもう(気づいていないかもしれないけれど、あなたのお仕事相手はスーツ着た男子だけじゃないのよ?ついでに礼節を以て接するべきなのはお仕事相手だけじゃないってのは教わらなかったかしらね?)。